インドネシア教育省主催スピーチコンテストに参加しました。
こちらのブログでは、2024年8月に参加したインドネシアでのスピーチコンテストの紹介をしています。
1.はじめに
こんにちは。LIFE事務局長の古賀です。
いつもLIFEへのご支援誠にありがとうございます。
外国人によるインドネシア語のスピーチコンテスト「Festival Handai Indonesia 2024」が2024年8月25日~31日までバリ島で開催されました。私も5月の予選に応募していまして、予選を通過しバリ島での決勝戦にご招待いただきました。 個人的に参加したコンテストではありますが、発表した内容がLIFEがスンバ島で行っている活動からの経験に基づいていますので、ご紹介させていただきたいと思います。
2.コンテストについて
今年のコンテストは、78ヵ国から549人もの応募があり、決勝戦に進出したのは43ヵ国からの102人でした。
コンテストの種目は、次の7部門ありました。
- 世界の環境問題に関する演説
- インドネシアの地方に伝わる民話の暗唱
- 歌唱
- 詩の朗読
- パントゥン(インドネシアの伝統的な俳句)の朗読
- ルポルタージュ(インドネシアで取材した事柄の報告)
- 教育大臣への手紙
私はこのうち7番目の教育大臣への手紙部門に参加しました。
この手紙には、私がLIFEのスンバ島での事業を通して経験したことや感じたことを書かせていただきました。 どのような内容だったのか、お話しさせていただきます。
3.発表した内容について
2024年3月までLIFEは味の素ファンデーション様からの資金援助でスンバ島のライパンダック村にて3年間栄養改善事業を行いました。この事業を進める過程で、私は次の2つのことに気づきました。
- 村の小学校には色鉛筆や絵具などを使って絵を描く授業が全くないこと
事業一年目に児童による絵画コンクールを行いました。味の素ファンデーション様からの事業資金で色鉛筆を購入し、子どもたちに野菜作りなど事業で体験したことを自由に描いてもらいました。校長先生の話によると、子どもたちが色を使って絵を描いたのはこの時が初めてで、校長先生は絵を描く子どもたちを見てとても感動したそうです。校長先生は50代後半のベテランの先生ですが、これまで子どもたちが色を使って絵を描けることを知らなかったとおっしゃっていました。 - 栄養という概念が難しいにも関わらず、栄養を色分けで説明したら理解しやすかったこと
児童や保護者に対し、食育の教材を使って栄養の話をしました。この教材は紙芝居になっていて赤のヒーロー(タンパク質)、黄色のヒーロー(炭水化物)、緑のヒーロー(野菜・果物)がそれぞれ何の食材から生まれて、どのような役割を果たしているかを語ります。この紙芝居は、様々な食材をかたどったカラフルなカードが付属していてマグネットで貼り付けることができます。ストーリーに児童や保護者は引き込まれ、取り外しのできるカードが理解を助けました。物語の最後にはどの食材がどの栄養素に分類されるかを聞くクイズを行いましたが、たった一度物語を聞いただけで皆さんほぼすべて正解していました。この時、色で栄養をグループ分けしたことが理解につながったのかなと思いました。
日本の小学校ではけっこう頻繁に色を使って絵を描いたり工作したりする時間があります。このような状況に慣れていた私は、色を使った教育について特に考えたことがありませんでした。でも、この栄養改善事業を通して色を使って理解したり、色を使って創作することは小学生の教育においてとても大切なことなのではないかと気づきました。
スピーチコンテストでは、このような栄養改善にまつわる体験から気づいたことや感じたことを手紙の中で説明しました。そして、色を使って絵を描く経験が子どもたちにどうして大事なのか次のように伝えました。
- 絵を描くことは、子どもの想像力を豊かにする。
- 絵を描く経験がきっかけになって将来の職業の幅が広がる。
- 子どもたちが将来への夢を持ったことによって空腹や日々の水汲みの疲れから学校を休みがちな子どもたちが毎日学校へ行き授業を頑張って聞くようになる。
これらの話をしたうえで、最終的に教育大臣に次の提案をしました。
- 農村部の小学校でも色を使った絵画の授業を取り入れて欲しい。
- 農村部の小学校に色鉛筆や紙などの文房具を用意して欲しい。
コンテスト決勝戦ではこれらの内容を書き記した手紙を審査員の先生方の前で読ませていただき、手紙の内容を補足するためにパワーポイントによるプレゼンテーションをさせていただきました。プレゼンテーションでは、スンバ島の子どもたちが貧困から朝食を食べずに学校へ行っていること、靴を買えず裸足で登校していることなどもお伝えしました。
発表の持ち時間は参加者それぞれ15分です。
➀自己紹介とコンテストに参加した動機:1分間
②手紙の読み上げとプレゼンテーション:9分間
③審査員からの質疑応答:5分間
教育大臣への手紙部門の決勝戦は私を含めて15人の参加者がいて、私の発表は13番目でした。次に誰が呼ばれるか前の前の発表者が終わるたびにルーレットを回すので、いつ呼ばれるのか常にドキドキしていました。
結果、私は3位に入賞しました。
1位はドイツ人、2位はオーストラリア人で、二人ともインドネシア人の食生活の欧米化や食べすぎについて指摘する内容でした。私の発表も栄養に関することだったので、表彰式が終わった後3人で「きっと教育大臣は栄養に関心があるんだね。」と話をしました。
2人とも最近のインドネシア人の食事がファーストフードに偏りがちだったり肥満の人が増えてきたことに警鐘を鳴らす内容だったので、スンバ島のように食べるものがなく栄養が不足しているという私の発表とはだいぶ違う内容でした。しかし、同じインドネシアという国の中にここまで違った栄養に関する問題があるんだと気づかされました。
スピーチコンテストから帰国して10日後に今度は出張でインドネシアのスンバ島へ渡航しました。その時にスピーチコンテストで3位になった話をスンバ島の友人たちにしました。みんな、「もし来年スンバ島の農村部の小学校に色鉛筆が配られたら、これはきっとマミのおかげだね。」と言っていました。
実際、2024年10月の大統領就任演説の中でプラボウォ新大統領がインドネシアには貧困で朝食を食べずに学校へ行く子、学校へ行くのに着る服がない子がいることに触れていました。スピーチコンテストで私が話したことが届いたのかどうかはわかりませんが、このスピーチコンテストへの参加がきっかけになりスンバ島の状況に政府が目を向けてくれるようになったらと思っています。
4.出会った仲間たちについて
さて、ここまでは主にコンテストの内容についてお話ししました。ここからは、出会った仲間たちについてお話ししたいと思います。
冒頭でお話しした通り今回集まったのは43ヵ国からの102人でした。
このコンテストが始まったのは2020年だったそうですが、コロナ禍だったので初めの数年はオンラインで行っていたようです。昨年のコンテストで初めて受賞者だけインドネシアに招待したそうです。そして、今年初めて決勝進出者102人をインドネシアのバリ島に招待して決勝戦を開催したということでした。
この43ヵ国という様々な国から来た人たちがみんなインドネシア語を共通語にして大会期間中を過ごしたことは圧巻でした。インドネシア語話者は世界ランキング7位と世界的にも多いですし、ユネスコ公用語にインドネシア語が入っていることから今後インドネシア語がさらに世界的に話されていく可能性はあると思います。この大会ではそれを体験した感じでした。
今回の決勝戦進出者ですが、多くが今現在インドネシアの大学に在籍している留学生のようでした。1年間などの短期留学ではなく、最初からインドネシアの大学や大学院に留学した人たちが多いように感じました。アフリカ出身のある参加者は現在インドネシアの大学の医学部に在学していて、将来はお医者さんになって自分の国の医療に貢献したいと話していました。その他は、インドネシア人と国際結婚している方、お父さんやお母さんがインドネシア人の方、何世代前かの祖先がインドネシアから移住してきた方だったりとインドネシアにルーツがある方も多かったです。私のように仕事でインドネシア語を必要としているという参加者には一人しか会いませんでした。彼女はイギリス人で私のように子どもや環境問題に取り組むNGOのスタッフです。スマトラ島の北部にもう3年も住んでいると言っていました。
そして、一番の出会いは、大会期間中一週間私のルームメイトだったマダガスカルからの参加者です。私たちは一日目に会ったとたん意気投合し、コンテストで発表するという緊張感やストレスを感じる毎日ではありましたがとても楽しい日々を過ごしました。
彼女は20歳から25歳の5年間インドネシアに留学していたことがあり、ネイティブ並みにインドネシア語を話す人でした。彼女によると、マダガスカル人は全員母国語のマダガスカル語と旧宗主国のフランス語のバイリンガルだそうです。なので、彼女は元々フランスに留学するつもりで試験を受けたそうです。しかし、不合格でした。そんな時に飛び込んできたのがインドネシア政府の国費留学の話でした。はじめご両親は猛反対だったそうですが、インドネシアは彼女の家族と同じムスリムが多い国だからと説得し留学したそうです。彼女はマダガスカル人の祖先はかつてインドネシアから来たのでマダガスカル語には似ている単語があるという興味深い話もしていました。
彼女は演説部門に参加し2位を受賞しました。私は手紙部門の3位入賞ということで、私たちの部屋は「優秀部屋だね」と言われみんなからたくさん褒められました。
2位入賞の快挙はマダガスカルのニュース番組で取り上げられ、彼女が帰国した際には報道陣が空港に駆け付けたそうです。
5.おわりに
私が参加したスピーチコンテストの体験談は以上です。スンバ島の友人たちが話していたように私のこの発表がきっかけでスンバ島の農村部の子どもたちが色鉛筆を使えるようになるなど近い将来スンバ島の教育事情が良くなっていくことを願います。
最後までお読みいただきありがとうございました。