「絵本ボランティア」から見えたインドネシアの本について

LIFEが以前行っていたボランティア活動の中に「絵本ボランティア」があります。このボランティアをやったことから見えてきたインドネシアの本にまつわる文化や習慣、言葉についてお話ししたいと思います。

私たちが支援活動を行っているインドネシアのスンバ島農村部に暮らす子どもたちは小学校に入学するまでインドネシア語に触れる機会がほとんどありません。子どもたちが普段話しているのは村の言葉です。これはインドネシア語とは全く違う言語だそうです。

村によって多少の違いはありますが、基本的に私たちの事業地がある東スンバ県では東スンバ語と言われる言葉が話されています。また、スンバ島東部には東隣のサブ島からたくさんの人が移り住んでいるので、サブ語を話す人も多いです。気になったので、インドネシア語とどれくらい違うのか調べてみました。

「私の名前は〇〇です。」を例にインドネシアの国語であるインドネシア語と地方の言葉を比べてみます。

Nama Saya 〇〇.

 名前  私

Natamunggu nyungga 〇〇.

    名前           私

Ngaraya 〇〇.

名前  私

スンバ島への玄関口バリ島でもバリ人の大学生に聞いてみました。

Adan tiange 〇〇.

 名前   私

先日講演で訪れたスマトラ島でも聞いてみました。

Namo ambo 〇〇.

名前   私

Name Saye 〇〇.

名前   私

スマトラ島はマレー語圏に入ります。マレー語圏とは、インドネシア語の元になったマレー語に由来する言葉が話される地域です。そのような訳なので、スマトラ島で話されている言葉はインドネシア語に似ていますね。イギリスの植民地となったマレー半島とオランダの植民地となったスマトラ島の間に境界線ができると、マレー語はそれぞれ独自に発展していったようです。

そして、国語のインドネシア語もこの5つの地方の言葉も、すべてが日本語とは語順が逆で「私の名前」を表すには「名前+私」の順序になると分かりました。
※バリ語とミナン語は独自の文字がありますが、アルファベットで表示しています。

次にLIFEが絵本ボランティアを始めたいきさつについて触れたいと思います。

これまでLIFEは、スンバ島の農村部で有機農業支援をしてきました。視察のため村を訪問する際に小学校で先生方とお話をすることがしばしばありました。どの村の先生も子どもたちの識字率が低いという悩みを抱えていました。その理由には次のようなものがあります。

  1. 村ではテレビを観たりインターネットを使うことができないので、文字に触れる機会がない。
  2. 小学校に入学して文字を教わるが、難しくて楽しくない。
  3. 貧困から朝ご飯を食べることができず空腹で学校に行くことができない。
  4. 早朝の水汲みのお手伝いで疲れてしまって学校に行くことができない。
  5. 学校へ行ったとしても空腹で授業に集中できない。

小学校4年生になっても読み書きがあやふやな子もいるそうです。文字がわからないとすべての教科の教科書を読むことができません。その結果、学校の授業について行けず学力が上がりません。中学校や高校へ進学することも難しくなってしまいます。

スンバ島の小学校の先生方は子どもたちが学校に興味を持てるよう様々な努力をしています。

たとえば、先生方も研修に参加してどうやったら子どもたちの識字率が上がるか勉強をしています。

研修に参加する東スンバ県の先生方

そして、数年前から始まった試みですが小学校の先生方は教室に絵を貼ったり天井から絵を吊るしたり、子どもたちが学校が楽しいと思えるような工夫もしています。

最近の教室:子どもたちが楽しいと思えるよう絵を貼ったりして工夫をしています。
以前の教室:黒板と机といすがあるだけ(教室が足りないので仕切りを作り2学年で使っています)

ちょっと余談ですが、バリ語で「私の名前は〇〇です。」をどう言うかバリ人の大学生に聞きました。その時にこの学生さんが驚くことを話していました。

バリ島の大学生

バリ島では小学3年生になっても読み書きができない子が増えています。スンバ島と違ってテレビを観たりインターネットを使うことができる島です。また、バリ島には本屋さんもあり子どもたちは小さいころから絵本やコミックを読む習慣があります。にもかかわらず、3年生になっても読み書きができない子がいるのです。

それは、スマホへの依存です。ゲームやYouTubeばかりで文字に触れる機会が少なくなっているのです。

電波がなく文字に触れられないスンバ島のような島があれば、インターネットが使えるために文字に触れる機会が少なくなってしまったバリ島のような島もあるのです。同じインドネシアという国なのに理由の違いに驚きました。

話を元に戻します。頑張っている先生方を見てLIFEも子どもたちに何かしたいと始めたのが絵本ボランティアです。

永岡書店様から許可をいただき「日本むかし話アニメ絵本」「世界名作アニメ絵本」にインドネシア語訳を貼り付けスンバ島の農村部の小学校に贈りました。

インドネシア語訳については、日本に暮らすインドネシア人や帰国子女の方、留学経験のある方たちが日本語をインドネシア語に翻訳してくださいました。

そして、日本中のボランティアさんがその翻訳を絵本に貼り付けるボランティアに参加してくださいました。

出来上がった絵本は1,000冊以上。東スンバ県教育局を通じて農村部の小学校に配りました。教育局職員より一通り配り終わったとの連絡がありましたので、現在は絵本ボランティア活動は終了しています。

絵本を受け取った村の小学校の先生からの話です。スンバ島の農村部では日本みたいにカラフルな絵本を読むことができません。ですので、先生方も子どもたちも日本から贈られた絵本をとても喜んでいるということです。

このボランティアには本当にたくさんの方々が日本中から参加し、スンバ島について知っていただく良い機会になりました。

スンバ島の子どもたちが日本から届いた絵本を読む様子についてはこちらの動画をご覧ください。

ところで、また余談ですがインドネシアにはいつから本や小説があるのでしょうか。

日本では紫式部が千年前に「源氏物語」を書き、世界で一番古い女性作家が書いた小説だと言われています。江戸時代にも町人などの庶民が本を読む習慣がありました。

インドネシアの状況が気になったので調べてみましたが、少々複雑です。というのは、インドネシアが一つの国だと宣言されたのがオランダ植民地時代の1928年10月28日、と同時にインドネシア語がインドネシアの言語であると宣言されました。その後日本の占領下を経て1945年8月17日の独立時にインドネシア語が正式に国語だと決まりました。つまり、インドネシア語という言語が認識されてまだ100年経っていないのです。それまでの小説は、ジャワ語など各地の言語で書かれていたようです。これらのことから、インドネシア語で本が出版されてからまだ数十年しか経っていないということがわかりました。インドネシア語小説の歴史は浅いかもしれませんが、『人間の大地』を書いたプラムディヤ・アナンタ・トゥールをはじめ素晴らしい作品がたくさんあるので、読んでみることをお勧めします。

本の読み聞かせについて

スンバ島では自宅に本がある人がほとんどいないので、親が子供に本を読み聞かせる習慣はないようです。話を聞いたバリ島の大学生もそのような習慣は聞いたことがないと言っていました。ところが、先日講演で訪れたスマトラ島は違いました。図書館でスタッフさんに色々お話を聞いてきましたので、ご紹介します。

図書館スタッフ

スマトラ島では親が子供に本を読み聞かせる習慣があります。親の好き嫌いもありどこの家庭でも読み聞かせているわけではないですが、子どもに本を読む家庭が多いです。また日本のように寝る前に読み聞かせることもあります。それには、歴史的な背景があります。スマトラ島はインドネシアに初めてイスラム教がもたらされた土地で宗教学校が各地に建てられた歴史があります。そのため、スマトラ島の住民は今も教育熱心な傾向にあるのです。

実際にスマトラ島の図書館では、子供向けに識字イベントをやっているのを見ました。子どもたちの識字率を伸ばすために物語の朗読コンテストを開催したようです。子どもたちは保護者と参加していて、ちょうど配られたお昼ご飯を食べているところでした。このイベントを開催するためいくつかのスポンサーが資金提供をしているようです。スマトラ島では日ごろからこういうイベントが行われていて教育に対する意識が高い地域だということがわかります。

スマトラ島の図書館で開催されていた子ども向け識字イベント

今回は、スンバ島、バリ島、スマトラ島というインドネシアの一部の地域で見えてきた様々な本の事情を取り上げてみました。インドネシアはとても広い国です。地域によって習慣が全然違うので興味深いですね。