さらに遠くなってしまったスンバ島ワインガプ、でも懐かしい再会があった

事務局長の古賀がスンバ島へ渡航した際に色々変更があったので、お伝えしたいと思います。
2025年8月の出張までは、LIFEの事業地東スンバ県に行くには日本からまずバリ島へ行って、バリ島から国内線でスンバ島のワインガプ(Waingapu)空港まで行っていました。ところが、2025年の秋にこのバリ島デンパサール発ワインガプ行き直行便が廃止されてしまったのです。ただでさえ離島で遠かったワインガプですが、さらに遠くなってしまいました。でも、そのおかげでスンバ島の西側のタンボラカ(Tambolaka)空港を使うことになり友人に30年ぶりに会うことができました。その懐かしい再会も含めて2025年11月の渡航についてまとめました。
※ワインガプ空港の正式名称:Bandar Udara Umbu Mehang Kunda
 タンボラカ空港の正式名称:Bandar Udara Lede Kalumbang
 デンパサール空港の正式名称:Bandara Internasional Ngurah Rai

出張1週間前に現地NGOからかかってきた電話

出張を1週間後に控えたある日、スンバ島の現地協力NGO代表のヘンリックさんから電話がありました。「バリ島からワインガプへの便がなくなったことは知ってる?」何も知らなかった私はびっくりしました。この電話が無かったら、当日バリ島の空港のチェックインカウンターで初めて知るところでした。

ヘンリックさんにお礼を言い電話を切ると、チケットを購入した航空券購入サイトに問い合わせました。しかし、返ってきた回答は「航空会社からフライトキャンセルの連絡がないので、フライトは予定通りです」というものでした。念のためワインガプ空港で働く友人に聞いてみると、やはり数週間前からこのフライトは廃止されているということでした。再度航空券購入サイトに連絡すると、「心配ならご自身で航空会社にお問い合わせください」とのこと。そこで搭乗予定だったスリウィジャヤ航空(Sriwijaya Air)に聞いて、やっとフライトがなくなっていることの確認が取れました。スリウィジャヤ航空の担当者の名前を航空券購入サイトに告げ、やっと信じてもらうことができました。チケット代は全額返金してもらえました。

直行便がないならどうするか・・・

スンバ島にはワインガプ空港のほかに西側にタンボラカ空港があります。タンボラカからワインガプまで陸路で5、6時間かかりますが、他に良い選択肢もないしバリ島からタンボラカ行きで再びチケットを購入しました。バリ島を朝9時10分に出発し、タンボラカ空港に1時間後の10時10分に到着するナムエアー(NAM Air)です。

グーグルマップでは3時間50分となっていますが、山道なので+1時間以上かかります。

なぜバリ島からワインガプへの直行便が廃止されたのか

路線が廃止されたのにはいくつも理由があることがわかりました。簡単にまとめると次のようになります。

  1. バリ島の空港混雑緩和のためデンパサール空港におけるプロペラ機の発着数を制限した
  2. ワインガプ空港の滑走路が短く、ジェット機に対応していない
  3. ワインガプ空港は午後5時までしか利用できない
  4. バリ島⇔ワインガプ路線は採算がとれない

バリ島にはデンパサール空港が一箇所あるだけです。しかもこの空港には滑走路が一本しかありません。国際的に知られたリゾート地であるバリ島は発着する飛行機がとても多く、これまでも着陸できず上空で旋回することがたびたびありました。バリ島発ワインガプ行きはこれまでプロペラ機でしたから、➀にひっかかりました。また、このワインガプ行き直行便はほぼ毎回出発が遅れていました。国内の他の空港から飛んでくる飛行機が遅延していて、その乗客を待ってから出発していたことも遅延の理由です。ワインガプ行きは一日一本しかありませんでしたから、それも仕方ありません。直行便は14時40分デンパサール空港発だったので、遅延してからの2時間弱のフライトでは夕方5時に間に合わせるのは難しかったと思います。

スンバ島へ

と言う訳で、バリ島発が朝の9時10分なので、7時半に空港に着くようホテルを7時過ぎに出ました。ホテルから国内線ターミナルまでは徒歩で15分ほどです。バリ島は道路がとても渋滞するので、車で行っても歩いて行っても大して変わりません。

空港近くのホテルから空港へ

空港に到着

チェックイン時に少々出発が遅れると言われました。これまでもワインガプ行きは毎回のように遅延していたので、特に気にも留めませんでした。

しかし、1時間経っても2時間経っても搭乗のアナウンスがありません。気になった外国人が何人か搭乗口の係員に尋ねているのが見えました。私も一緒になって聞きに行ったところ、「当便はジャカルタから出発しますが、メンテナンスが必要になり現在ジャカルタで修理中」と説明されました。そして、そのメンテナンスがいつ終わるかわからないという回答でした。いずれは来るのでもうしばらくお待ちくださいとのこと。気づけばもうお昼前だったので、空港でチョコレートを買ったりお昼ご飯を食べて時間を過ごしました。

待ち時間にチョコレートを買いました。
空港でお昼を食べる予定はありませんでしたが、空腹のためBubur Ayam(鶏のお粥)を注文

この日デンパサール空港から出発する飛行機で遅延しているのはタンボラカ行きだけのようでした。NAM AIRのIN-640が私が乗る便です。

待っている間、搭乗を取りやめている外国人旅行者もいました。私も再度係員に聞きに行ったところ、もうしばらくしたらジャカルタを出発するということがわかりました。係員に問い合わせに行くのがみんな外国人だったので、インドネシア人は乗る人がいないのかと思ったら、搭乗のアナウンスが流れると続々とスンバ人らしいの顔つきをした人たちが椅子から立ち上がりました。彼らはこの6時間係員に聞きに行くこともなくひたすらじっと待っていたようです。結局9時10分出発予定だった便がやっと離陸したのは午後3時でした。

やっと搭乗です

タンボラカに到着

そして、タンボラカ空港では現地協力NGOラジオMAXのヘンリックさんとエルさんが待っていてくれました。彼らは私のために早朝5時にワインガプを出発し、タンボラカまで来てくれたそうです。6時間も待たせたのにニコニコして出迎えてくれました。そして、夕方4時に彼らの車に乗せてもらい、ワインガプへ向かいました。途中で日が暮れ、ワインガプのホテルに着いたのは夜の10時前でした。フロントでホテルのレストランが10時までだと言われたので、慌てて夕食を食べに行きました。

ワインガプへ向かう途中で通り過ぎたワイカブバッ(Waikabubak)
日が暮れ、その後真っ暗になりました。

スンバ島からバリ島へ

行きは大幅な遅延でしたが、スンバ島での毎日を過ごしているうちにすっかり遠い記憶になっていました。

そして、スンバ島での仕事を終え、バリ島へ飛ぶ日。スンバ島最終日は島の真ん中に位置するレワ(Lewa)という集落にいました。

レワの宿から見た後ろ側の風景

レワからはもう一つの現地協力NGOマラダにタンボラカ空港まで送ってもらいました。バリ島への便は16時40分タンボラカ発、17時40分バリ島デンパサール空港着のナムエアーです。14時には空港にチェックインしたかったので、朝の9時くらいにレワを出発しました。

そして、空港に送り届けてもらい現地NGOのマラダにはまた翌年来ることを告げ、空港の建物に向かいました。

タンボラカ空港の建物、写っているのは友人のゴリス一家

しかし、中に入ろうとすると入口の係員に「バリ島行きはキャンセルだから乗れないよ」と言われました。中にいた係員によると前日のバリ島行きが天候不良でキャンセルになったので、その日は前日の搭乗客を優先して飛行機に載せたいとのこと。チェックインカウンターに行かないで空港内にあるナムエアーのオフィスへ行くよう告げられました。行ってみると長い行列。一番後ろに並んでやっと次が私の番という時に男の人が私の前に割り込んできました。えーっと思いましたが、どうしてもその日のうちにジョグジャカルタへ行かなくてはならないと焦って説明していました。その人は、その日の便に載せてもらえることになりました。私も日本に帰りたいと告げましたが、ナムエアーのスタッフに今日の日本行きに乗るんですか?と聞かれました。さっきの男性のように緊急に乗りたい方が他にもいると思ったので、私は係員の説明に従って翌日のスリウィジャヤ航空に乗ることにしました。廃止前に使っていたワインガプ空港からバリ島行きのも直行便も割とキャンセルがあったので、これまでの経験からバリ島へ移動したその日の国際線で帰国せずバリ島で一泊するようにしていました。なので、翌日の便に載せてもらえるなら問題はありません。

タンボラカで一晩過ごす

実はこの時点で空港には何人か友だちが私に会いに来ていました。LIFEは1990年からスンバ島で支援活動をしていますが、90年代の事業地はスンバ島の西側にありました。私は大学時代の1995年8月にLIFEのワークキャンプに参加し、このタンボラカ空港の近くの村で水源から給水パイプをつなげるボランティアに参加したことがあります。LIFEは今はスンバ島の中でも特に開発から取り残されている東側で支援活動をしているので出張する際は島の東にあるワインガプに滞在することが多いです。でも、30年前に参加したボランティアでは西側に友達がたくさんできました。今回はタンボラカ空港を使うことになったので、30年ぶりに友達に連絡して空港で会う約束をしていたのです。みんながいたので、急なフライトキャンセルでもそばにいてくれて心強かったです。

空港まで会いに来てくれたゴリス一家
赤い服がゴリス(1995年8月のワークキャンプで撮影)

翌日の便に乗ると決まったので、その日泊まるホテル探しをしました。こちらも学生時代にLIFEのスンバ島ワークキャンプで知り合ったファラ3姉妹に連れられて町のメイン通りにあるホテルを空港に近い方から順に一つずつ見ていきました。そして、5番目くらいに見たホテルに決めました。部屋に荷物を置いた後、ファラ3姉妹に海に連れて行ってもらいました。ファラは3姉妹の次女で、私が1995年のワークキャンプで出会った時は高校生でした。翌年1996年に個人的に彼女のうちに遊びに行ったときは、貧困から高校の授業料を支払うことができず中退していました。今は子どもが4人もいて、得意のお菓子作りで収入を得られているようで、幸せに暮らしていることがわかりました。

ファラ3姉妹と海辺で
(壁にもたれているのが長女、手前の白いTシャツがファラ。撮影したのはファラの旦那さん)
ファラのうちで(1996年12月撮影、向かって左が長女、紺のTシャツにベストがファラ)

次の写真は1995年8月のワークキャンプで訪れた際に撮影した写真です。おそらく今回訪れた海岸もこのあたりだと思います。

翌日は12時に空港に来るように言われましたが、絶対に飛行機に乗りたかったので10時半には空港へ向かいました。空港係員にこの日は飛ぶと言われ安心してチェックイン時間の12時なるのを待ちました。

急遽タンボラカに一泊したので、夜の間に他の懐かしい友人にも連絡を取っていました。チェックインの時間が来るまで懐かしい友人と過ごしました。

バイクで1時間かけて空港まで駆け付けてくれたコリ
1996年12月のコリ、ワークキャンプの翌年コリたちに会いにスンバ島に行きました

この時ベルナッドがたまたま空港に飛行機に乗りに来ていた知人とおしゃべりしていました。90年代にLIFEが支援活動を行っていた村の子で、当時は10歳くらいでしたがまだいろんなことを覚えていると言って、色々話してくれました。

「タクが海で眼鏡をなくしたよね」

「最後の日に日本人に豚料理をふるまおうと絞めてたら、日本人大泣きしてたよね」

「ぼく熱出しちゃって、中島おばあちゃんに薬をもらったんだ」

話を聞いていると全て私が参加したボランティアでの出来事なので、びっくりしました。中島さんの薬の話になった時に、やっと私も思い出しました。私たちが村に滞在中、高熱を出して気温の高いスンバ島なのにガタガタふるえている男の子がいました。驚いて「あの時の男の子なの?」と聞くと、「そうだよ、僕だよ。青いセーター着てガタガタふるえてたのは僕だよ」と。そこからは話がはずみました。サトコは元気?ボネカは?サトコというのは当時サブリーダーをしていた人で、ボネカというのは参加者の一人です。色白でまるでお人形さんのようだったので、インドネシア語で人形を意味するボネカと呼ばれていました。

彼はマテウスと言う名前で、今は公務員をしているということでした。出張でバリ島へ行くので空港に来ていました。彼の話によると、当時私たちが敷設した給水パイプは今でも村の人たちに使われているということでした。今のLIFEはスンバ島の東側で活動しているのでなかなか当時の村に行くことができないでいましたが、今後もタンボラカ空港を使うのなら次の出張の際は給水パイプを見に行ってみようと思いました。

スンバ島の子どもたちの健康観察をする瀬上医師
(2023年撮影)

現在LIFEのスンバ島栄養改善事業で子どもたちの健康観察をしていただいている小児科医の瀬上医師もこの1995年のワークキャンプに参加していました。小さい男の子が発熱してガタガタ震えているのに病院に行けず薬もないのを目の当たりにしたことも将来お医者さんになることを決意した理由の一つだと聞いています。

チェックインカウンターがオープンしたので列の後ろに並びました。しかし、カウンターの端末がネットにつながらないということでなかなかチェックインできません。しばらく待ちましたが搭乗券を発行してもらうことができました。懐かしい旧友のコリとベルナッドと再会を約束して別れ、搭乗口近くの椅子で飛行機が来るのを待ちました。この時はまだ、この日の飛行機は予定通り搭乗時間にはタンボラカ空港に到着するということでした。

売店ではスンバ島のお土産が売っています。

ところが、それまでは天気が良かったのですが、急に空が暗くなり雷雨になりました。もう搭乗時間はとっくに過ぎていましたが、こんな天気では飛行機は着陸できません。フライトレーダー24で確認しましたが、タンボラカ空港に向かってくる飛行機は一つもありませんでした。この日も飛行機には乗れないことを覚悟し、旅行予約サイトで宿泊するホテルを探し始めました。

すると仕事仲間と一緒にいたマテウスが来て「お昼ご飯は食べたの?」と聞いてくれました。食事はバリ島に着いてからにしようと思っていたので、まだ食べていません。実際空腹でお腹がペコペコでした。マテウスが空港の食堂に連れて行ってくれました。空港の食堂は待合室からいったん外に出なくてはなりません。その時係員に「もうすぐ搭乗時間だから早く食べてね」と言われました。係員が見せてくれたフライレーダー24の画面によると確かにバリ島から飛行機が飛んでくるのが見えました。バリ島に行けることがわかって安心してお昼ご飯を食べました。

空港の食堂で食べたソトアヤム(鶏肉のスープ)

食べていると飛行機の轟音が聞こえてきました。食堂のスタッフに聞くと私たちが乗るスリウィジャヤ航空の機体だと言っていて、本当にバリ島へ行けると嬉しくなりました。

飛行機に搭乗

2時間くらい遅延しましたが、ついに飛行機に乗るようアナウンスが流れました。雨はまだ降っていましたが、飛べないほどではありません。

ついに搭乗
傘をさして作業する空港職員
滑走路へ
離陸しました

バリ島に到着

ついに、バリ島に到着しました。今回の出張は往路も復路も突然の路線廃止やキャンセルがあったものの、そののおかげで懐かしい旧友に何人も会えました。30年前にLIFEが設置した給水パイプがまだ使われているという話も聞けたし、結果良かったことが多かったです。次回以降も遅延やキャンセルがあるだろうと想定して構えておこうと思います。

デンパサール空港に到着
雨季なのでバリ島も天気が悪かったです。