【インド事業報告】ウタヤム女性連合教育ローン事業・ スリ・ムタランマン女性自助努力グループ支援事業
執筆担当者:島田めぐみ(在コルカタ総領事館専門調査員)
はじめに
インドでは長い間、農村部の経済的に貧しい人たちが、字が読めない、村に支店が無い、担保が無い、などの理由で銀行のサービスを利用できずにいました。インド政府は、この状況を変えようと1992年に「SHG(Self-help Group)-銀行連結プログラム」を開始しました。同プログラムは、農村の経済的に貧しい女性たちが10~20名のメンバーから成るSHGを組織し、SHG名義の銀行口座を開設し、貯金を行いつつ貯金を元手にグループのメンバー間でお金の貸し借りを行い、また、SHGとして無担保・低利子で銀行から融資を受けることもできるという、画期的な試みでした。
SHG-銀行連結プログラムの主な実施機関であるインド農業農村開発銀行(National Bank for Agriculture and Rural Development: NABARD)によると、このプログラムは「支援が行き届いていない貧しい世帯に(フォーマルな)金融サービスを提供する費用対効果の高い仕組み」(注1) ということです。この「費用対効果の高い仕組み」とはすなわち、個人ではなくSHGというグループにお金を貸すことでSHGメンバー全員に共同で返済義務を担わせ、SHGメンバー間のソーシャルキャピタル(信頼・規範・ネットワーク)を利用し、メンバーがお金を返すよう相互監視を行わせることにより、経済的に貧しくかつ金融取引記録を持たない人に無担保でお金を貸す際の貸し倒れリスクを軽減する仕組みです。
一方で、SHG-銀行連結プログラムの素案に大きな影響を与えたのが、インドのNGO、MYRADAです。MYRADAにとって、SHG-銀行連結プログラムの第一義的な目的は、経済的に貧しいSHGのメンバーが自分たちの資金管理を通じてエンパワーされることです。 MYRADAはインドの農業協同組合が一部の権力のある家族に牛耳られている状況を問題視し、協同組合の経済的に貧しいメンバーに対し別の組織を作るよう働きかけました。このグループはCMG (Credit Management Group)と呼ばれ、同組織のメンバーはCMGの銀行口座に貯金を行い、その貯金を元手としてグループのメンバーの間でお金の貸し借りを行うという活動を行いました。
1987年、NABARDはMYRADAに対し「CMGをSHGへ改名する」ことを条件として組織能力開発トレーニング資金を提供し、インドの中央銀行であるRBI(Reserve Bank of India)に働きかけ、1990年から1992年の間に(1)銀行がSHGに対し融資を提供し、SHGはその融資を用いて自由にメンバー個人へ融資を行うこと、(2)銀行が法律に基づく登録のない(=インフォーマルな組織である)SHGに対し、SHGの議事録及び金融取引記録を保管することを条件に融資を行うこと、(3)銀行がSHGに対し、無担保で融資を行うこと、という政策決定が行われました。こうして、SHG-銀行連結プログラムが開始したのです。
2000年代に入ると、SHG-銀行連結プログラムには「質より量」の風潮が見られるようになりました。十分なノウハウを持たないNGOが組織開発能力トレーニングを実施せずにSHGを量産するようになり、銀行のSHGへの融資業務にも遅延が出るようになりました。また、同時期にはインドでマイクロファイナンス会社によるビジネスが拡大し、SHGのメンバーを顧客とみなして貸し付けを行うようになり、銀行の融資と(時に複数の)マイクロファイナンス会社の融資を得たSHGメンバーが債務不履行に陥るケースが散見されるようになりました。このことは銀行にとっての不安材料となり、銀行がSHGへの融資を渋るようになりました。
(注1) リンク先は日本国内からのアクセスが出来ない可能性があります(インド国内からはアクセス可能)
女性自助努力グループ支援事業
地球の友と歩む会がCIRHEPの活動地域であるタミルナドゥ州ディンディグル県ニラコタイ郡においてSHG支援事業を開始した2011年頃には、銀行から融資を受けたSHGの数はインド全土で480万を超えるようになっていました。
現地協力団体であるCIRHEPと協力して実施したSHGへのインタビューを通して明らかになったのは、「銀行からの融資が得られない」ということです。これには上述した背景(SHGの質の低下による銀行側の貸し渋り)が影響しているようでした。また、「銀行からの融資を銀行の設定する利子率と返済計画に従って返済するという(一見当然の)ことが難しい」というSHGメンバーの言い分も理解できました。農村部の経済的に貧しい人々の多くは、1エーカー前後の乾燥地を保有する小農や土地を保有しない農業労働者として生計を立てていますが、雨季に雨が降らず収穫を得られなかったり、病気になって仕事を休んだりすれば、収入は途絶えてしまいます。しかし、銀行へは毎月決まった額を決まった日までに返済しなくてはいけないのです。借りたいときに借りられない、また、定期的な返済ができない、といった困難に直面したSHGの多くが、SHGへの関心を失い活動を停滞させてしまっていました。
SHGへのインタビュー中に、あるSHGのメンバーがLIFEの現地駐在員に「自分の子供の教育資金を貸してくれないか」と尋ねてきたのが、女性自助努力グループ支援事業のウタヤム女性連合・教育ローン事業の始まりです。LIFEの駐在員は「SHGに教育ローンの元手となる資金提供を行い、SHG自身が資金管理を行えば、(SHGが銀行から融資を得るよりも)SHGメンバーに有用な融資が提供できるのではないか」と考えました。この考えには、既述したMYRADAの「SHG-銀行連結プログラムの第一義的な目的は、経済的に貧しいSHGのメンバーが自分たちの資金管理を通じてエンパワーされること」という考えの影響もありました。また、1990年代以降インドの経済成長率は上昇していますが、同時に貧富の格差も拡大しており、教育はその格差を埋める可能性を有する重要な手段の一つであり、SHGのメンバーも何とかして子供に教育を与えたいと考えていたのです。
こうしたことから、地球の友と歩む会は、SHGが子供たちの教育ローン資金を自分たちで管理できるようになることを目標として、教育ローン事業を開始しました。
まず、SHGメンバーがCIRHEPと協力し、10のSHGを傘下にもつウタヤム女性連合(後にウタヤム女性連合とPappinaickenpatty連合に分裂)を組織し、LIFEの支援者の寄付金を教育ローンの元手として提供し、管理を任せました。「管理を任せる」ということは、①教育ローンを貸し付けるメンバーの選別、②貸付金額・返済期間・利子率の決定、③金融取引記録の作成、銀行口座の出入金など全てをウタヤム女性連合に行ってもらうということです。
ウタヤム女性連合の活動が始まると、活動の噂を聞きつけたスリ・ムタランマンSHGのメンバーからCIRHEPを通して地球の友と歩む会に対し支援の要請がありました。同SHGは既存の組織であり、その最初の活動は、LIFEの支援者の寄付金をヤギローンの元手として提供し、管理を行うというものでした。その後、教育ローンの元手の管理も加わりました。
10年に及ぶ教育ローン事業実施期間には、たくさんの困難もありましたが、ウタヤム女性連合、スリ・ムタラマンSHGによる教育ローンの管理は現在も続いています。本報告書では、ウタヤム女性連合とスリ・ムタラマンSHGの活動内容、活動成果、課題をまとめ、最後に同事業を通したSHGメンバーの経験をインタビューから得た内容を用いて紹介します。
ウタヤム女性連合:
ウタヤム女性連合は、Mutharaiyarnagar、Veelinaickenpatti、Pappinaickenpatty、Kamachipuramの4つの村にある10のSHGが所属する連合です。VeelinaickenpattiのSHGリーダーが発起人となり組織されました。このリーダーの息子さんが教育ローン事業の最初の受益者です。これまでにSHGメンバーの子供たち計49名が教育ローンを利用し教育を受けました。
ウタヤム女性連合の主要な活動は、①毎月1回のミーティング(於CIRHEP事務所)、②銀行口座からの出金とメンバーへの教育ローンの貸付、③返済金の回収と銀行口座への入金、④金融取引記録の作成です。その他、ウタヤム女性連合所属の各SHGはそれぞれグループ口座を開設しており、SHGメンバーはその口座に毎月定額の貯金をしていますが、ウタヤム女性連合の口座に貯金をすることはありません。メンバーによれば、「2つの組織(SHGと連合)に貯金をする経済的余裕はない」とのことです。
毎月一回のミーティングはCIRHEPの事務所で実施されます。メンバーは各村からそれぞれ10~30分程度歩いてきます。できるだけ多くのメンバーが集まれるようにミーティングの日時を決めるのですが、遅刻するメンバーも多く、時間通りに来たメンバー(LIFE駐在員とCIRHEPスタッフ含む)はミーティング開始まで1時間程度待つということもしばしばありました。
教育ローンは毎年インドで新学年が始まる5月に貸し付けが行われます。ウタヤム女性連合は、教育ローンを借りたいメンバーの子供の氏名と学年(大学の場合は通いたい学部も)、希望金額を記したリストを作成し必要な合計金額を算出します。大抵は銀行口座にある金額では足りないのですが、メンバー各自は主張したり融通をきかせたりしながら納得するまで話し合いを行います。その中で、「日本でいう高校1年生にあたる10年生から教育ローンを利用できる」という決まりが出来ました。9年生までは歩いて行ける距離にある公立校に通えるが、それ以上の学年になると交通費や教育費がかさむということが、この決まりの背景です。時には来月、再来月の返済が始まるまで待ってから教育ローンを借りることになるメンバーもいます。教育ローンの返済期間は1~2年のため、5月に教育ローンを借りたメンバーは6月から返済を始めます。例えば15名が毎月1000ルピー返済すると、6月には15000ルピー、7月には30000ルピーが返ってきます。その返済金を、また別のメンバーが教育ローンとして借りるのです。基本的に8月から次の年の4月まで教育ローンの貸付は行われませんが、真に必要なときにのみ次の年の4月までに全額返済するという決まりで貸し付けが行われることもあります。ウタヤム女性連合の決めた教育ローンの利子率は年利6%で、銀行からSHGに対する融資の半分です。利子は連合の資金の一部となり融資に使われたり、雑費(銀行に行く際の交通費など)に利用されたりします。ミーティングでの決定事項、金融取引は、それぞれノートに記録されます。
教育ローン事業を開始してから5年程して、地球の友と歩む会の駐在員は別途実施していた主要プロジェクトの終了に伴い現地を去りました。その後は、現地NGOのCIRHEPが地球の友と歩む会に対し定期的に教育ローン事業に関する報告を送付することになりました。
ウタヤム女性連合の活動には次のような変化が見られるようになりました。まず、ミーティングの開催が不定期になりました。5月には教育ローン貸付のためのミーティングが開催されていましたが、それ以外は多くの場合、各村の集金担当者が教育ローンを利用しているSHGメンバーから返済金を集金し、それをCIRHEPの担当者が銀行口座に入金するようになりました。また、1年もしくは2年で完済するというルールもいつの間にかなくなり、返済が滞るメンバーも出てくるようになりました。その後、さらに新型コロナウイルスの流行もあり、ミーティングは行われなくなり返済も止まってしまいました。
Pappinaickenpatty村のSHGが、ウタヤム女性連合の他のメンバーの返済の遅れについて不満を募らせ、話し合いの結果、同村のSHGはウタヤム女性連合から分離してPappinaickenpatty連合を作ることになりました。現在、2つの連合はウタヤム女性連合の教育ローン資金を分けて、それぞれ個別の銀行口座を有し、個別に活動しています。しかし、Pappinaickenpatty村で集金を担当していたCIRHEPのスタッフが不慮の事故で亡くなったことを受けてSHGメンバーたちはやる気をなくしてしまい、Pappinaickenpatty連合の教育ローン資金は他のSHGに寄付するという計画が話し合われています。
ウタヤム女性連合は、新型コロナウイルス流行による混乱がひと段落した現在、Mutharaiyarnagar村では集金担当SHGメンバーが定期的な集金を続け、ローンの返済が行われています。一方、Veelinaickenpatti村では、CIRHEPのスタッフから助けてもらいながら集金を担当していたSHGメンバーが親族問題で返済困難となり集金どころではないといった様子です。また、自分の子供の教育を終えたメンバーが収入はあるにもかかわらず返済を行わないケースも2件あります。
ウタヤム女性連合の活動成果と課題:
<活動成果>
- 2022年12月末時点において、延べ49名の子供が教育ローンを利用し高等教育(10年生以上)の教育を受けることができました。
- 2012年~2014年の間に地球の友と歩む会が提供した教育ローン資金は1,660,000円(そのうち人件費216,000円)です。その資金は、2022年12月末時点において約1,330,577円[1](ウタヤム女性連合とPappinaickenpatty連合の合計)とやや目減りしてはいるものの、資産管理表からは増加傾向にあると読み取れることから、提供された教育ローン資金を維持管理するシステムが構築されていると考えられます。
※[1] 1円=1.59ルピーで計算
<課題>
- 教育ローン資金管理を維持管理するシステムの持続可能性には課題が残ります。ウタヤム女性連合とPappinaickenpatty連合のSHGメンバーは、主要な活動の①毎月1回のミーティング(於CIRHEP事務所)、②銀行口座からの出金とメンバーへの教育ローンの貸付、③返済金の回収と銀行口座への入金、④金融取引記録の作成のうち、③について特定のメンバーまたはCIRHEPのスタッフに依存していたため、特定のメンバーやCIRHEPのスタッフが返済金の回収と銀行口座への入金を行うことが出来なくなった際に活動が停滞してしまいました。今後、なんらかの方法で、主要活動③を各連合の多くのSHGメンバーが遂行できるようにする必要があるでしょう。
スリ・ムタランマンSHG:
スリ・ムタランマンSHGはKottur村のSHGです。同村の祭事集金係である男性の妻が同SHGのリーダーです。これまでにSHGメンバーの子供たち計18名が教育ローンを利用し教育を受けました。
スリ・ムタランマンSHGの主要な活動は、①毎月1回のミーティング(於CIRHEP事務所)、②全メンバーによるグループ口座への月1人あたり100ルピーの貯金、②銀行口座からの出金とメンバーへの教育ローン、その他ローンの貸付、③返済金の回収と銀行口座への入金、④金融取引記録の作成です。
毎月一回のミーティングは村の広場で実施されます。メンバーは各自、家からあるいは農作業場から集まってきます。このSHGのミーティングでは、リーダーの夫が司会進行役を務め、金融取引記録を作成します。リーダーの夫はKottur村の冠婚葬祭集金係でもあり、村人の信頼が厚い様子でした。ちなみに、Kottur村はNayakarカーストのみが暮らす村であり、カーストによる差別を心配する必要はありませんでした。
スリ・ムタランマンSHGは以前に別のNGOが組織したSHGですが、そのNGOのスタッフに銀行融資の返済金を預けたところ持ち逃げされたという苦い経験をして活動が停滞していました。スリ・ムタランマンSHGの希望は、12名のメンバーが1頭ずつ乳牛を購入する資金を支援してほしいというものでした。地球の友と歩む会は募金活動を行いましたが集まった金額は乳牛1頭分にしかなりませんでした。しかし、スリ・ムタラマンSHGのメンバーは、乳牛1頭分の金額でもヤギならば12頭購入することができると考え、計画を変更しました。地球の友と歩む会の駐在員は、この自主的な計画変更を観察して、「このSHGは自分たちで資金を管理していくことができるだろう」と考えました。その後、地球の友と歩む会はスリ・ムタランマンSHGにも、教育ローンの資金提供を行いました。
ヤギ購入のためのローンは、銀行によるSHGへの融資の利子と同じ年利12%に設定されました。また、返済金は口座に置き放さず、すぐにメンバーに貸し出しました。その際の貸出目的は、2頭目のヤギの購入、農業投入、冠婚葬祭、医療費など多岐に渡りました。これは、「銀行からお金を借りるのとは異なり、自分たちが支払った利子は自分たちの口座に入り、次の融資の元手の一部となる」ことを理解したメンバーたちが、早く元手を増やしたいために決めたルールです。途中で、グループメンバー1名が発熱を伴う皮膚炎を患った末に亡くなるという残念なことが起こりましたが、彼女の医療費もSHGからの融資でまかなわれました。亡くなった後にはグループの銀行口座から引き出した彼女の貯蓄が家族に手渡されました。(彼女が医療費のために借りたローンは彼女が亡くなった時点で完済されていました。)
教育ローンの利子は、教育のためだからという理由で年利6%に設定されました。ウタヤム女性連合と同様、毎年5月に貸し付けが行われます。教育ローンを借りたいメンバーの子供の氏名と学年(大学の場合は通いたい学部も)、希望金額を記したリストを作成し必要な合計金額を算出し各メンバーが納得するまで話し合いをしてそれぞれの借りる額を決めるという作業もウタヤム女性連合と同様です。その後、異なる利率のローンを管理するのが困難であること、元手が増えたことを理由に、スリ・ムタランマンSHGのローンの利率は一律で年利6%となりました。
地球の友と歩む会の駐在員が去った後も、スリ・ムタラマンSHGの活動ペースは(新型コロナウイルス蔓延時に一時ストップした以外は)変わりませんでした。現在は、毎月の返済金と貯金と利子で毎月メンバーの誰かが20000ルピー程度の融資を受けられるようになっています。しかし、現在でもミーティングや金融取引の記録、銀行への出入金はリーダーの夫が行っており、彼無しではグループ活動が立ち行かないのではという不安はぬぐい切れません。
スリ・ムタランマンSHGの活動成果と課題:
<活動成果>
- 2022年12月末時点において、延べ18名の子供が教育ローンを利用し高等教育(10年生以上)の教育を受けることができました。
- 2013年、2017年、2018年の間に地球の友と歩む会が提供したヤギ購入資金および教育ローン資金は1,100,000円(そのうち人件費28,620円)です。その資金は、2022年12月末時点において約1,076,595円(うちこれまでの貯金合計186,507円)とやや目減りしてはいるものの、資産管理表によると資産は順調に増加しており、提供された教育ローン資金を維持管理するシステムが構築されていると考えられます。
<課題>
- 教育ローン資金管理を維持管理するシステムの持続可能性には課題が残ります。スリ・ムタランマンSHGメンバーは、主要な活動の①毎月1回のミーティング(於CIRHEP事務所)、②全メンバーによるグループ口座への月1人あたり100ルピーの貯金、②銀行口座からの出金とメンバーへの教育ローン、その他ローンの貸付、③返済金の回収と銀行口座への入金、④金融取引記録の作成のうち、③と④をリーダーの夫に依存しているため、リーダーの夫が何らかの理由で③と④を行うことができなくなった場合に活動が停滞する可能性があります。今後、なんらかの方法で、主要活動③、④をSHGメンバーが遂行できるようにする必要があるでしょう。
以上、ウタヤム女性連合とスリ・ムタランマンSHGについて、組織としての活動内容、活動成果とその課題についてまとめました。次に、組織としての活動を分析するだけでは見ることができない、教育ローン事業を通じたSHGメンバー個人の経験を紹介します。
受益者のストーリー
<R. Mani>
私には娘が2人、息子が1人います。娘達が高等教育を受ける年齢だった時は教育ローン事業が始まっていなかったので、自分たちで(財政的に)可能なレベルで教育を与えましたが、息子のゴータムは教育ローン事業のおかげで大変良い教育を受けることができました。ゴータムはコンピューター工学修士課程を修了し、さらに3年間教育を受けてエンジニアになりました。チェンナイ市で就職したばかりで、初任給は月収24,000Rsと少ないですが毎月10,000Rs~15,000Rsを私たちへ送ってくれます。この送金があれば、ローンを完済することができると自信を持っています。(2022年12月時点でローン残額は70,000ルピー。)
私も夫も全く教育を受けていないので、子供には教育を与えたいと常々考えていました。実は1度、銀行に教育ローンを申請しに行ったことがあるのですが審査に通りませんでした。そのようなことがあったので、CIRHEPとLIFEが教育ローンを提供してくれて本当に助かりました。私たちに、子供に教育を与える機会を与えてくれた貴方たちのことを、私たちはいつまでも忘れません。
<Paun Mani>
子供は息子が2人です。2人とも教育ローン事業を利用して高等教育を受けることが出来ました。長男のプラバカランは、ベンガル―ル市で大学に行き工学の学位を取得した後、チェンナイでソフトウェア・エンジニアとして働いています。次男のヨゲシュ・クリシュナンも工学の学位を取得後、チェンナイで働いています。長男は月収30,000ルピー、次男は月収25,000ルピーもらっています。毎晩9時半ごろ、二人と電話で話すことを楽しみにしています。
私は8年生、夫は10年生まで教育を受け、主に農業をやっています。夫の実家は4エーカーの土地を所有していましたが相続の際に夫の兄弟4人で土地を分けたので私たちの所有地は1エーカーのみです。灌漑設備もないので雨が降らなければ農業はできません。こういう状況なので、教育ローン事業が無かったら息子2人に高等教育を受けさせるのは難しかったでしょう。次男が工学部在学中、学費の支払いをしなくてはいけないのに全く経済的余裕がなく大変困ったことがありましたが、スリ・ムタランマンSHGからタイムリーに教育ローンを借りることができたのでとても助かりました。(2022年12月時点でローン残額は5,000ルピー。)
<T. Vellathai>
私には子供が4人います。長男のムトゥ・パンディは5年生まで教育を受けました。(ムトゥ・パンディには知的発達障害があり、両親と暮らしつつ農業に従事している。)長女のパンディ・ラクシュミは10年生まで、次女のサラニャは8年生まで教育を受けました。末っ子で次男のチェッラ・パンディはコンピューター工学の学位を取得後、チェンナイ市で銀行に就職しました。月収は20,000ルピーですがそのうち10,000ルピーを送金してくれます。本当は娘二人にも高等教育を受けさせたかったのですが、本人たちがそこまで勉強に興味を持たなかったので二人とも結婚させました。(2022年12月時点でローン残額は52,000ルピー。)
<Thangapandi>(※Vellathaiの夫。SHGの帳簿付けや銀行での出入金を担当。)
私の両親には経済的余裕がなかったので、叔父に学費を出してもらい、叔父の家に寄宿しつつ学校に通い1985年に10年生を修了しました。もっと勉強したかったのですが、叔父もそれ以上の教育費用は工面できませんでした。それで私は、自分の村の子供達には幸せになってほしい、私たちも幸せでありたいと思ってきました。自分の子供だけでなくSHGメンバーの子供全てを自分の子供のように思って、子供たちに教育を受けさせたい一心でSHGの活動を手助けしてきました。毎月、SHGの帳簿をつける際、「LIFEとCIRHEPのスタッフが来て教育ローン事業を始めてくれたから自分たちの口座にはこんなにお金があって子供たちに教育を与えられるのだ」と初心に立ち返っています。
< P. Rani >
私には娘が2人、息子が1人います。長女のシバランジャニは、ニラコタイの認定准看護師専門学校を卒業した後、その学校で教員として働き、今は結婚して夫の村に引っ越しました。次女のシバガミは、長女と同じ学校で勉強し、今はその学校で教員をしており月給は6,000ルピーを得ています。二人とも「人の役に立ちたい」という思いをもって、准看護師の仕事を選びました。長男は残念なことに10年生を修了したところで学校に行くのを辞めてしまいました。私は息子に「もっと勉強を続けたくないか」と聞いたのですが「お母さんが苦労して学校に行かせてくれたとしても、僕は勉強がそんなに得意ではないよ。特に英語が全くわからない。」と言って、自分で同郷の人間を頼ってチェンナイ市の花市場で仕事を見つけて働いています。給与は市場の状況にもよりますが、日給で800~500ルピー程度です。でも、息子はとっても心の優しい良い子です。そろそろ結婚相手を探そうと思い、どんな娘が良いかと聞いたところ、「色が黒い女の子を忌避する風潮は酷いよね。色が黒いからって、家事や仕事ができないわけではない、家族と仲良くできないわけではないよね。」とだけ言っていました。(2022年12月時点でローン残額は76,000ルピー。)
私たちは農業や農業労働をやって、近くの村の学校(学費が安い公立校)に子供をやって、その他家計の出費をやりくりして、冠婚葬祭にもお金を出さなくてはいけない、厳しい生活でした。でも、SHGに入って、金利の高い金貸しからお金を借りる必要はなくなりました。長女が最初に看護師の学校へ行った日は今でもよく覚えています。そのためにSHGから30,000ルピーの融資を受けましたが、長女が同じ学校で働くようになったので、次女の学費やその他必要な経費は長女の給与でまかなえるようになりました。次女の教育費について我々両親は何もしていません。私は7年生まで教育を受けたのですが、ある日先生に叩かれて怖くなって学校に行くのをやめてしまいました。でも、今、自分の子供が教育を受けて幸せそうにしているのを目の当たりにして自分も教育を受け続ければよかったと少し思います。
< T. Selvamani >
私には娘が3人、息子が1人います。長女のヴィジャヤラクシュミは8年生、スグナデヴィは10年生、レヴァティは9年生まで勉強しました。今は全員結婚し、それぞれに息子1人娘1人がいます。末っ子で長男のマニムルガンは、会計学の学位を取得しMannapulam Bankのナッタム支店でアシスタントマネージャーとして働いています。給与は手取り月収15,000ルピーですが、これとは別に退職金の積み立てなどもあります。息子が9年生の時から教育ローン事業で教育資金を借りていますが、大変役立っています。息子本人が高等教育を受けたいと考えていたので、教育ローン事業がなければ高い利子率の金貸しから借りてでも教育を受けさせなくてはならなかったでしょう。その点、SHGの教育ローンは利子も低くなんとか完済できそうです。連合のミーティングも大変でしたが必ず参加するようにしました。私は乳牛の放牧を仕事にしていますが、放牧中にCIRHEPとLIFEのスタッフがミーティングに行くのを見たら、どこでもいいから牛を繋いでおいて、急いでミーティングに向かったものです。(2012年12月時点でのローン残額は5,000ルピー。)
息子の仕事が激務なので心配です。月に2日しか休みが取れなくて、3日目の休みを取ろうものなら「家に帰れ(=解雇)」と言われるそうです。できたら公務員になってほしいのですが、政府の仕事を得るためにはお金がかかります。(笑いながら)「袖の下」を払うために、100万ルピーの融資をしてくれませんか?そうしたら政府の仕事を得られて、息子の生活も安定しますから。
< T. Vijaya >
私には娘が1人、息子が2人います。長女のヴァニタは10年生まで勉強しました。彼女が学生だったときに教育ローン事業はなかったので、その後結婚させました。長男のムトゥ・パンディは大学でケータリングサービスを学びましたが、コインバトール市のスクリュー・モーター製造会社に就職し、今は月収13,000ルピーをもらっていてそのうち9,000~10,000ルピーを仕送りしてくれます。次男のユヴァラジャは現在コンピューター工学部の2年生です。(2022年12月時点でローン残額は34,000ルピー。)
自分は6年生の時に母親が亡くなり、それ以上勉強を続けることが出来ませんでした。兄は10年生まで勉強して、その後公務員になってアンダマンニコバル諸島やチェンナイ市で働いています。自分の子供には教育を受けさせたかったし、子供ももっと勉強したいと言っています。長男の仕送りがあるので、次男の教育費は工面できています。
「明日までに学費を払わなくてはならないけれどお金が無い」というタイミングで教育ローンを得られたときは本当に助かりました。もし払えなかったら息子は退学になるところだったので神様に感謝しました。その時は夫が心臓病を患い、病院の費用、教育費用、いろいろな支払いをなんとかやりくりして、とても大変で毎日泣きながら過ごしていたのです。(当時のことを思い出し、しばらく号泣した後、)4カ月間、入退院を繰り返したのですが、最初に病院に行ったとき、今すぐ2万ルピー払えと言われました。あのとき、(CIRHEPのスタッフが)SHGと相談してグループから緊急融資を得ることが出来て本当に感謝しています。
< Pandiammal >(教育ローン事業の発端となった女性)
私の息子が10年生の時、LIFEのスタッフが「子供には高等教育を受けさせますか」と聞いてきたので「これ以上は教育費の工面が難しい。金貸しから借りたら利子が高い。貴方が融資をしてくれないか」と聞いてみました。そうしたら、教育ローン事業の話が出てきたので、CIRHEPと相談してすぐに連合を組織しました。この教育ローン事業のおかげで、私の村の子供たちはみんな教育を受けて就職しているので大変助かりました。
連合を運営するのは正直大変です。SHGのメンバー達をミーティングに呼ぶと、「(SHGのリーダーをやっている(=「いいご身分である」)あなたには他に仕事が無いかもしれないけど、私たちにはたくさん仕事があるのよ」などと言われました。(実際には、Pandiammalにも他のメンバーと同様に多くの農業や家事の仕事がある。)返済しないメンバーに返済を要請すると「返済していないのは私だけじゃない。あのメンバーだって返していない。なぜ私にだけ返済を要求するのか」などと言われました。それでも私はいつも「分かった、分かった。とにかく、子供達に教育を受けさせるためよ。」と返すほかありませんでした。自分の母親にも「あなたは家の仕事もしないで、外に行ってばかり。夫も息子もいるのに、、」と言われました。ただし、娘の私がLIFEのスタッフ(外国人)と話しているのを見ることは、母にとって誇らしいことのようです。(2022年12月時点でローンは完済。)
連合を組織するとき、まずは自分が所属するSHGに提案してみました。そのとき、同じ村に住むCIRHEPのスタッフであるラジャに「SHGメンバーが銀行に行くのが難しければ僕が手助けする」と言ってもらって始めたのですが、、3カ月前にラジャが不慮の事故でまだ幼い息子と一緒に亡くなってしまい村全体が悲しみに包まれています。ラジャの妻もSHGのメンバーですが、あまりに痛々しくて話しかけることも難しいです。今後残されたSHGメンバーで銀行に行ったりするのは難しいと思います。CIRHEPの他のスタッフも来てくれたがメンバーはラジャをとても頼りにしていたので他のスタッフとはあまりコミュニケーションを取りたがりません。メンバー全員が完済したら教育ローンのお金はLIFEに返そうと思っています。教育ローン事業は大変役に立ちましたが、今はSHGも銀行融資を得られるし、貧困層の女性個人に銀行融資をする政府のプログラムも新しく始まっています。むしろ、毎月ミーティングに参加しメンバーの返済金を集める、という連合としての活動を維持するほうが大変なのです。(※CIRHEPは連合のメンバーと相談しつつ連合の資金を他のSHGに譲渡する計画を立てている。)
< R Nacchallammal >
私には娘が2名います。長女のリーナは大学を卒業してから結婚し現在は主婦をしています。次女のリサは大学で会計学を学んでいましたが途中で結婚してコインバトール市に引っ越して、現在は商店で働いて、週払いで900ルピーもらっています。でも、次女は大学の卒業資格を得たいと思っています。教育ローン事業は娘たちに教育を与えるのに大変役に立ちました。女性が教育を受けることは、経済的にも精神的にも夫に依存することなく自立するために必要なことです。(2022年12月時点でローン残額は25,640ルピー。)
CIRHEPスタッフのラジャが亡くなったので、SHGの活動は停滞しています。返済もしていません。以前は、毎月少しずつ返済していたのですが夫が亡くなった今は返済が難しいです。夫は近くの町でラジオやテレビの修理屋を営んでいましたが、店は閉めたままです。自分は農業労働をやって日当を得ていますが、乳牛等は持っていません。1エーカーの土地を所有していますが、教育ローン以外にも夫の病気のために金貸しから借りた負債を抱えているので夫の兄弟に売ろうと考えています。娘たちは仕送りをしようと言ってくれますが、彼女たちは健康問題なども抱えているので娘たちには頼りたくありません。また、彼女たちはコインバトール市で一緒に暮らそうと言ってくれていますが、私は負債を抱えているので、この村で頑張って働いて、まずは負債を返したいと思っています。
< Pandiammal >
私には息子が2人います。長男のアラヴィンド・クマールは大学に1年半通ったが勉強が難しいということで退学し、友人とコインバトール市へ行って仕事をしています。次男のパヴァン・クマールは12年生を修了したところでコロナ禍に見舞われ、1年間家にいたが兄と一緒にコインバトール市へ行きました。自分は、次男を大学にやりたかったのですがコロナを非常に怖がっており進学の機会を逃してしまいました。息子達からの仕送りは、食事やその他の出費があって彼らの生活が落ち着くまで2年間は全くありませんでした。今は2人とも10,000ルピーずつ給与をもらっており、8,000ルピー前後を毎月送ってくれるのですが、どちらかが病気になったりするとそれもなくなります。
自分は15歳の時の事故で背骨の神経を痛めており、いろいろ治療を試みてきたのですが治らず、長い間座っていることもできないし、農業労働もできません。時折ひどい頭痛にも悩まされています。SHGのミーティングに行くのも実は苦労しているのです。CIRHEPのスタッフであったラジャが死んでしまったので、もうSHGの活動は難しいと思います。私は自分でチット・ファンド(南インドの頼母子講)を組織して、そこで得た資金で教育ローンを完済しました。
< Aiyammal >
私には子供が3人います。長女のグナダルシニは11年生、次女のダルシャナは4年生、長男のマダンは2年生です。今、長女の教育のために教育ローン事業で合計50,000ルピー借りています。私は10年生まで勉強しましたが、自分が子供の頃は親がいかに苦労して教育を与えてくれたか全く理解していませんでした。今、教育ローン事業のおかげで、学費も払えるし、制服も買えるし、ノートも買ってやれる、問題なく学校に行かせられています。教育ローン事業の資金が引き続き利用できるのなら子供たちを大学まで行かせたいです。この資金は、私の子供たちのためだけではなく、次の、そのまた次の子供たちのためにもあるべきです。CIRHEPのスタッフが集金に来なくても、SHGメンバーが集金するので資金は自分たちで管理できます。私たちのSHGは12名一緒に話し合いを行い困難な状況にあるメンバーに貯蓄からお金を貸すこともしています。SHGがなければ高い利率の金貸しからお金を借りなくてはならないでしょう。
< Gunadarshini >(Aiyammalの長女)
私は今11年生で、看護コースを選択し、看護学、生物学、英語、タミル語などを学んでいます。生物学が少し難しいけれど楽しく勉強しています。私の母は教育ローンを借りていて、私はそれで勉強することができています。教育ローン事業を始めてくれて、本当にありがとう。(インタビューの途中、両親の苦労を思い感極まって泣いてしまう場面があった。)
< Kamachi >
私には息子が2人います。長男のヴァイラヴァンは10年生です。自分は8年生まで無料の公立の学校で学んだが9年生から費用がかかるようになるので、そこで勉強を辞めざるを得なかったのです。息子には大学へ進学してほしいと思います。息子が高等教育を受けられるのは教育ローン事業のおかげです。SHGのメンバーは互いに良く知っているので誰が大変な状況にあるかよくわかるのです。そういうわけで、SHGによる教育ローンの資金の管理に大きな問題はないでしょう。
< Vailavan >(Kamachiの長男)
僕は今、10年生です。ニラコタイの学校で学んでいて、教科の中では「社会」が好きです。僕は警察官になることを目指していて、それには世の中のことを良く理解するため「社会」が大切だと思っています。母はSHGに所属しており、有難いことに誰かがSHGに教育ローン資金を提供してくれたので僕は勉強することができています。大学まで勉強して警察のなかでも上位の職務に就きたいです。教育ローンの提供を受けることができて非常に助かりました。教育ローンがなければ大変だったと思います。感謝します。僕は立派な警察官になるまでしっかり勉強します。これまでの支援に感謝します。そして、今後の支援に感謝します。(CIRHEPのスタッフに日本の支援者の名前を教えてもらい)“Yoneyama san, Megumi san, Suzuki san, very very thanks.”
一部受益者の写真(教育ローン提供当時)
(※個人情報保護の観点から受益者の氏名は掲載していません。)
終わりに
「はじめに」で紹介したSHG-銀行連結プログラムの経緯について学び、CIRHEPと一緒にSHGメンバーにインタビューをして感じたことは、貧困削減や女性のエンパワーメントなどの「プロジェクト」「プログラム」「事業」の意義は、それが実施されている社会の変化に伴って変わるものなのだ、ということです。「プロジェクト」「プログラム」「事業」はある特定の社会的背景のなかに持ち込まれるものであり、また、その社会的背景は日々変化するものです。特に経済自由化が本格化した1990年代以降のインドではその変化のスピードが加速しています。そのような状況において、「プロジェクト」「プログラム」「事業」の持続可能性とは何であるのか、ということを考える必要があるでしょう。
SHGメンバーの置かれている状況が変われば、SHGの活動は無理に続けなくてもよいのかもしれません。Pappinaickenpatty連合のように、自らの意志で解散を考え、教育ローン資金を必要とする他のSHGに資金を移転するというアイディアを出すことができるのは、組織としての持続可能性よりも大事なことかもしれません。「受益者のストーリー」で紹介したように、教育ローン事業の受益者とその家族は様々なかたちで事業の影響を受けています。このように、事業に関わった人たちの人生に何らかのかたちで事業の影響が残っていくことを「持続可能性」とする事業があってもよいのではないかと思います。そうした事業において事業の実施者は、より長いスパンで、より細かな視点で、その影響を分析する必要があるでしょう。それは、小回りの利く小規模なNPO法人であるからこそできることなのかもしれません。
島田めぐみ